« こ た つ | Main | あなたがはいというから »

 ピ ア ノ   ©1978

彼は彼女を
彼女は彼を
真似しているうちに口ぐせがうつった
真似しているうちに首を振って頷くのが癖になり
真似しているうちに歩き方が変わってしまった
あまりに近づきすぎたので境目がときどき危うくなる
声が届きすぎて耳が痛かったの
視線が絡み屈折し思いがけず反転するの
だから夢でバランスが崩れる
肌が触れれば瞳はあやしくにじみ
おなじ色にときどき骨まで染まった
重みをかけるとたやすく音が出るピアノのように
シロかクロかを選ぶたびにふたりは奇妙な響きを生み出しあえぐ
はかない和声にひっきりなしに殴打される鼓膜を
かばう指たちはいつしか蒸発した狭い海をつくった
架空の水面に泳ぎ出せば波のようにもまれ
みつめあう目の中に浮かぶ雲は飽きもせず姿を変えてゆく
ありえるはずもないパターンをつかもうと
終わることのないアレンジを追いかけているうちに
彼は彼女を
彼女は彼を
見失う
欠けていたのはA7とD9と
無視できればどうにか我慢できたはずの一瞬で
それはそれでいいとしても
小鳥になるには彼女の翼はやさしすぎたのだ
止まり木になるには彼の腕は静けさを知らなすぎたのだ
わたしたちいつまでも
そう言って突き出した世界を支える彼女の小さな手のひらを
彼はただ眺めていた
握り返さずにただ眺めていたのだった
だからしかたなく
彼女は馴染み深い三本の指に力をこめる
ぎこちなく鍵盤が沈んでC
空気が震えて形をつくり
鼓膜に刻印された
ありふれた安定と
さよならのシンプル

« こ た つ | Main | あなたがはいというから »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/64543/1989082

Listed below are links to weblogs that reference ピ ア ノ:

« こ た つ | Main | あなたがはいというから »