翼 ©1999
ずっとずっと苦しかったから
僕は
空を飛ぶようになったんだ
彼はそう言いました
きみも飛んでみたいかい
そうきかれてうなずく
彼は小さなおもちゃみたいな飛行機に
わたしを乗せて舞い上がる
空へ
たかくたかく
ちらっと街が見えた
車で一分も走れば通り過ぎてしまえるメインストリート
たった一つしかない雑貨屋には
グレープフルーツの香りのシャンプーと
グレープフルーツの香りのソープと
グレープフルーツの香りのボディーローションと
グレープフルーツの香りのタルカムパウダーが
山のように積んであった
それが粗末な飛行場のあるアメリカの田舎町の
名物なのです
昨夜はたった一軒しかないレストランに行きました
フライドチキンを注文したら
太ったウェイトレスが
鶏一羽分のから揚げののっかった大きな皿を
ドスンとわたしの前に置いた
白いエプロンの胸当てからはみ出る大きなおっぱいが
何も言わせない
それからあっけにとられているわたしのところに再びやってきて
同じくらい大きな皿をもう一枚置いた
ニンジンのグラッセとゆでたインゲンが
広大なマッシュポテトのシーツの端で反乱を起こしかけていて
彼はそれを見て
声を出して笑った
子供みたいに
ほんとうに愉快そうに
黒く枯れた深い井戸のように
乾いた闇を瞳の奥底にたたえている彼の
そんな顔を見たのはうまれて初めてのような気がして
胸がつぶれるほどうれしくてはしゃいだのに
空の上では
風のうなりとエンジンの音が
鼓膜を突き刺し
皮膚をあわ立たせる
荒地の上空でわたしは昨夜の声をなくした
自由になれると思ってただろ
空を飛べば
飛べさえすれば
彼にそう言われて
わたしは
泣き出しそうだった
重力が
圧倒的に自分を地面に縛り付けている
その力を感じただけだったからです
パンパンにむくんだ足と
感覚を失った面の皮が悲鳴をあげる
自由などなかった
だってさ
僕らは
鳥じゃないんだ
彼は
空を飛んでみたら
もっともっと苦しくなったんです
きっと
お皿の上のチキンを見て
彼が笑ったのは
きっと翼が自由を得るための道具ではないと
すでに知っていたから
彼とわたしは
完全に行き場を失い
もう一度飛びたつ
そして地面に向かって墜落しました
ためらいもなく
翼を夢みなくなったので
すでに一度失われてしまった命を捨てるのは
微塵もこわくありませんでした
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